「常用漢字表」と「当用漢字表」
私たちが現在日常に使っている漢字は「常用漢字表」に載っているものです。
厳密にいうと「改定常用漢字表」です。常用漢字表はすべて内閣告示です。
「常用漢字表」が最初に作られたのは1923年(大正12年)1962字でした。
現在の「改定常用漢字表」が作られたのが2010年(平成22年)2136字あります。
最初の「常用漢字表」から現在の「常用漢字表」まで約90年の間に何回かに改定がありましたが、一度だけ名前が変わった漢字表がありました。
それが「当用漢字表」1850字です。大東亜戦争の終わった翌年昭和21年11月16日に公布されました。
なぜ、この戦後の漢字表だけが名前が違っているのか?
それは「当用漢字表」の持つ意味が、他の「常用漢字表」とは違っていたからでした。
とりもなおさず、終戦当時日本にいた連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の占領政策からきているのです。
GHQのなかにジョン・ベルゼルという若い将校がいました。彼は日本における漢字や仮名は日本人の教育の妨げになっていると考え、漢字・仮名を廃止してすべてローマ字にすべきと提案し、その方向で改革を進める過程で「当分の間使用する漢字表」という意味で「当用漢字表」は作られたのです。
日本も反対しますが、ジョン・ベルゼルは昭和23年8月に持論証明のため無作為に抽出した日本人、15歳~64歳の老若男女約20000名に識字のためのテストを強制しました。結果は100点満点で平均点が78.3点という高得点で日本人の識字率の高さと漢字の影響の無さが証明されました。
当時の責任者の柴田武(当時東大助教授)が試験結果をジョン・ベルゼルに持っていくと、ジョン・ベルゼルは試験結果の改ざんを要求しました。しかし、柴田武ははっきりと拒否しました。日本の漢字が生き残った瞬間でした。(柴田先生偉い!)
その後、日本は独立し、1981年(昭和56年)にもとの「常用漢字表」の名前で生まれ変わりました。漢字の中にはこのような歴史的変遷のなかで翻弄された漢字もあります。詳しい話はまたの機会に。
おわり。
いつもの会話
(女房)「あなた!掃除終わったら、洗濯もね。早くしないと日が沈むわよ。」
(宿六)「・・ぶつ・・ぶつ・・」
(女房)「なに、ぶつぶつ言ってんの!」
<ぶつぶつの解説>
(・・「匁子」(当用漢字表にあった名前の女をもらったのが間違いだった。))
<追釈>
(・・「匁子」っていうから軽いかと思ったらどんどん重くなってきやがった。「匁」(もんめ、重さの単位で軽い。))