「菖蒲」(しょうぶ)のはなし
6月といえば「菖蒲」の季節ですね。
ところで、あなたは「しょうぶ」「かきつばた」「はなしょうぶ」「あやめ」の区別がつきますか。日本人ならそこらあたりは押さえておきたいものですね。東京オリンピックのときに来た外人さんにも説明できるように。
それぞれを漢字で書くと
「しょうぶ」・・「菖蒲」(5月の節句に飾るもの サトイモ科)
「かきつばた」・・「杜若」「燕子花」(水辺に咲く 紫と白色だけ アヤメ科)
「はなしょうぶ」・・「花菖蒲」(観賞用 多彩な品種あり 水辺近く アヤメ科)
「あやめ」・・「菖蒲」「綾目」「文目」(陸地に咲く 紫色まれに白 アヤメ科)
となります。日本人は古来からこれらの花をひっくるめて「菖蒲」(しょうぶ)と読んでいたような気がします。
ただし、5月の節句に飾る「しょうぶ」はサトイモ科で他の花とはまったく違います。花もがまの穂みたいな花が咲きます。それ以外はアヤメ科です。
他のアヤメ科3種の花の見分け方
① 水辺か湿地に咲いていたら「かきつばた」か「はなしょうぶ」紫色一色なら「かきつばた」の可能性大
② 陸地に咲いていたらほとんど「あやめ」ただし最近は外国系もあるので注意
③ 花びらの根元が黄色なら「はなしょうぶ」、白色なら「かきつばた」、ちなみに「あやめ」は網目(綾目)模様
これでほとんどの区別はつくと思います。ご理解いただけましたか。
その中でも、日本人は昔から「かきつばた」の花を愛でてきました。
藤原業平の「伊勢物語」にも「かきつばた」を読み込んだ
「から衣 きつつなれにし つましあれば はるばる来ぬる たびをしぞ思う」
(唐衣を着なれるように、なれ親しんだ妻が都にいるので、はるかここまでやって来た旅のつらさを身にしみて感じることだ。)の歌があります。
また江戸時代の絵師 尾形光琳の屏風絵「燕子花図」(国宝)は日本人の心を代表する作品でしょう。
それに、どちらも美人で優劣がつけづらいことを「何れ菖蒲か杜若(いずれあやめかかきつばた)」ともいいますよね。
「はなしょうぶ」も話せば長くなるのでまたの機会に。今日はこのへんで。
(??)えっ、うちの女房は「あやめ」と「かきつばた」のどっちかって?
そりゃ「はなしょうぶ」ですよ。
(女房 照れ笑い)
なんたって鼻のでかさで勝負してますから。
(びゅ~ん ゴン(ものが飛んできて当たった様子))
写真は「かきつばた」
蕎麦屋のかんばん
今日は「仮名(かな)」のはなし。
仮名文字の成り立ちなんかを話してたら夜があけてしまうので、今日はその中の「変体仮名」についてちょっと。へんたいと言ってもムチとか蝋燭(ろうそく)は使わないのでご安心を。
ところで、下の写真は蕎麦(そば)通にはつい涎(よだれ)が出てきそうな看板ですよね。
当然、この看板には「そばや」と書いてあると思うのですがどんな字かわかりますか?
どんな漢字だとおもいますか。
実は、これは漢字ではなく「仮名」です。それも「変体仮名」で「生そば」と書かれているのです。
とても「そば」とは読めないでしょう。それは現代の日本人が小学校で「ひらがな」を47字しか習っていないからです。
そもそも「仮名」ができたのが奈良時代のころ、平安時代には「仮名」で「源氏物語絵巻」などの作品も作られてます。このころには「ひらがな」は約300字くらいあったと言われてます。江戸時代の和学者春登上人はその書「万葉字格」で「かな」は973字あったと書いてます。
「仮名」が漢字から生まれたことは誰でも知っていることですが、いま我々が知っている「そ」という「仮名」は漢字の「曽」からできています。しかし以前にはいろいろな漢字からできた「SO(表記できないのでローマ字にしました。)」という「仮名」があり使っていたのです。
明治33年に政府は仮名字体を一字に統一して学校教育を始めました。「いろは47字」です。そしてこの47字以外の使えなくなった「仮名」を「変体仮名」と呼ぶのです。
それでもこの「変体仮名」は看板、商標、作品名などとしてまだ残っています。
話を戻しましょう。この蕎麦やの看板の「そば」の「仮名」は
「そ」は漢字の「楚」からできた「仮名」です。
また「ば」は漢字の「者」からできた「仮名」に濁点を打ったものです。
ご理解いただけましたか?
ところで、きょうは蕎麦でも食いたいな。
(奥に向かって) 「今日は蕎麦にしてくれよ~」
(返事) 「わたしゃあなたの傍(そば)がいい。」(飯ぬき)
????
「うちの宿六」=役立たず亭主
「うちの宿六」とは妻(山の神)がどうしようもない自分の亭主(夫)に対して言う言葉です。きょうはその役立たずの亭主「宿六」のはなし。
なぜ役立たずの亭主を「宿六」というのかというと、二つの説があるようです。
<その1>
「宿の碌でなし」が短くなった。
(「宿」・・古語で自分の家 「碌(ろく)でなし」・・報酬、収入がない)
つまり、家の中で仕事もなにもしないでごろごろしている無収入の亭主。
<その2>
数字の「六」を漢字で表すと「陸(りく)」(ろくと読む)と書きます。
ちなみに「一(壱いち)」「二(弐にい)」「三(弎さん)」「四(肆し)」「五(伍ご)」「六(陸ろく)」・・・・
そしてこの「陸」という漢字はもともとは土地などに凹凸がなく平らでゆがみがないことを意味するところから、完璧・満足の意味がありました。
すなわち、「陸(ろく)でもなし」は満足できない、役立たず、無頼の徒(ぶらいのと=やくざ)となっていったのだそうです。
あなたはどちらを信じますか。どちらにしても妻が夫を罵(ののし)る場合に使うことばに変わりはないようです。
しかし、しかし、男と女の世界はそんなに単純なものではありません。うちの宿六と罵りながらもかいがいしく亭主につくす妻がいることも、これまた世の中の妙(みょう)であります。
今日はこれくらいにして酒でも飲もうかな。
(奥に向かって)お~い酒くれっ。
(返事なし。)
・・・・・???
同訓異字語(どうくんいじご)
日本語には読み方が同じでも違う意味を持つ漢字が多くあります。外国の日本語を学ぶ人にとってはもっとも難解な部分のひとつかも知れません。
たとえば「はかる」と読む漢字は
「計る」「測る」「量る」「図る」「謀る」「諮る」などがあります。
それぞれの意味は
①「計る」・・数量や時間を調べ数えること。
②「測る」・・高さ、長さ、広さ、深さなどを調べること。
③「量る」・・体積や重さなどを調べること。
④「図る」・・いろいろなことを試みること。計画すること。「企図(キト)」
⑤「謀る」・・策略をめぐらすこと。だますこと。「陰謀(インボウ)」
⑥「諮る」・・ある問題について専門家に意見を聞くこと。「諮問(シモン)委員会」
これらは、①~③は客観的事実、④~⑥は人間の意志の結果、というふうに2種類に分けることもできます。つまり古来、漢字が渡来する前の字というものがなかった時代の日本の大和言葉(やまとことば)には「はかる」の二つの意味が存在していたと私は考えます。
それが、漢字が渡来したことによって、以前からあった大和言葉の「はかる」の意味を広げる結果となったのかもしれません。漢字と大和言葉の融合(ゆうごう)とかんがえてもいいのではないでしょうか。
この中では重複して用いるものもあります。
「計る」+「測る」 →「計測」(いろいろな機械を使ってものの値をはかること。)
「測る」+「量る」 →「測量」(地表の一部分の位置、形、面積などを精密に測定する作業)
また、人の心を「はかる」ときにはどの漢字をつかうでしょうか?
よく「相手の考えを推(お)し量る。」というような使い方をします。これを漢字熟語で表せば今国会でよく聞く「忖度(そんたく)」ということになるのでしょう。
「寂しい」と「淋しい」
「寂しい」と「淋しい」
どちらも読み方は(さびしい/さみしい)
漢字を見ると
「寂」は「叔」と「家」からなり、家の中の人の声が細く小さくなった様子。
「淋」は「林」と「水」からなり、絶え間なく水の滴る様子。
のようです。ではその使い分けは?
「寂しい」・・・客観的なさびしさ、物静かな様子、景色が荒れている様子
「淋しい」・・・主観的なさみしさ、泣けてくるような自分の気持ち
恋人が離れてさびしいときには「淋しい」を使うのが涙も連想していいのかも。
それじゃ、(さびしい)と(さみしい)の違いは?
(さびしい)には二つの意味があるらしい。
①心に隙間があってそれが満たされない気持ち(感情的)
②物音や人の気配がなくひっそりとした状況(客観的)
①の場合には(さみしい)も使えるが、②の場合たとえば「さびしい街並み」のような場合には(さみしい)は使いにくいです。
小説家に言わせると、女性が恋人を恋焦がれているときの表現としては「あの人がいなくて淋しい。」より「あの人がいなくてさみしい。」のほうがしっくりくるとか。
「漢字」から(ひらがな)を作り出した日本人。その(ひらがな)に漢字を超える表現力があるというのは、これまた日本文化の奥深いところなのかも知れません。
ちなみに、現在の新聞や公文書、学校などでは、「淋しい」は常用漢字表にはないため、すべて「寂しい」が用いられるようです。
つづく